「その男」
池波正太郎
文春文庫

池波正太郎が10年も何冊ものノートに温めていた三人ものモデルが、一人の直参の剣士、杉虎之助にまとめあげられ、幕末、維新動乱を生き抜いた虎之助その男、波瀾の人生の物語。虎之助に新たな命を与えた池本茂兵衛は、「二百余年もの封建の制度が奇蹟的に続いたなか、今の将軍、大公儀の全てをひっくり返すと云う時代の変遷、こんな馬鹿な、つまらぬ世の流れなどに気にせず、血眼となるな。人間と云う生き物は、つまるところ男と女がいて、子供が生まれ、食べて寝って日々を送る。それだけの事だ。しょせん、人の一生は、女を抱いて飯が食えれば、それでいいのだ。落ち付いた新しい時代が来るまで、礼子と穏やかに、のびやかに過ごすように」と、虎之助を諭す。著者は「あくまでものびやかに、こころたのしく書きすすめた最も愛着のある小説」と云う。

2012.9.30
「その男 (一)」
杉虎之助は、微禄ながら旗本の嫡男。生来の病弱に加えて義母に疎まれ、13歳の時に大川に身を投げる。虎之助は、助けられた謎の剣士に6年間、鍛えられ逞しい剣士に生まれ変わる。その謎の剣士は、薩摩藩相手専門の公儀密偵、池本茂兵衛であった。虎之助は、池本茂兵衛の配下で薩摩の行動を探索する礼子に恋し、礼子を助ける事となっていく。
池波正太郎の小説は、筋立てには文句のつけようがなく面白いのだが、話が綺麗にすんなりとうまく展開し過ぎ。いわば、泥臭くなく、血生臭くないのが不満。 
2012.10.1
「その男 (二)」
虎之助は、池本茂兵衛の想いもあり、礼子と夫婦になり新しい生活を始めるも、虎之助が斬って倒した薩摩侍の弟により礼子が惨殺されてしまう。池本茂兵衛を捜して京都に行くが、池本茂兵衛が長州からつけてきた男によって斬り殺されてしまう。虎之助は、礼子も失い、ほんとうの父と慕う池本茂兵衛までも失ってしまう。京都は、薩摩藩勤王派精忠組に係る薩摩藩内部の悲惨な決闘寺田屋騒動、新撰組による池田屋襲撃事件、長州軍による禁門の変、見廻り組の暗躍と、勤王革命派の志士や浪士たちと、幕府側の役人や、新撰組等との斬り合いが諸方でおこなわれ、時勢が大きく揺れ動き、移り変わってゆく時を迎えていた。
歴史物の面白さを存分に味合う事が出来る。  
2012.10.3
「その男(三)」
慶応三年、遂に大政奉還。政権を返上し平穏の内に事を治めようとしたのに、これを無理やり最後の喧嘩に引きずり込んで叩きつぶしてしまう薩摩の狡さ、長州の烈しさに因る維新戦争も、五稜郭の戦いでの榎本武明の降伏で、やっと、終結をみる。杉虎之助は、深川新地の馴染みの娼妓であった、お歌と再婚し、開化散髪処として、市井に住む一介の床屋の主に。大局を達観し、しかも果断に富んだ日本最初の陸軍大将、西郷吉之助改め西郷隆盛は、岩倉具視による陰湿にして辛辣な政治工作で中央政界から追い出されてしまうのだが、これに、日本最初の陸軍少将、中村半次郎改め桐野利秋、及び薩摩軍人が付き従って鹿児島に戻り、政府反対の気勢をあげた日本人同士の最後の戦争、西南の役を迎える。一方、虎之助は、二番目の父、池本茂兵衛を惨殺したのは、心を許し合った友、桐野利秋その人と判明し、敵討ちの為、桐野利秋を鹿児島へ訪ねるのだが、西郷の傍につききりとなって、身の回りの世話をやく事となってしまう。西南の役の最中、二度までも兎皮の睾丸袋を西郷の為、つくる事となる。虎之助が亡くなったのは、昭和13年の夏の盛りで、歿年98歳であった。
薩摩の狡さ、長州の烈しさで突き進んでしまった、明治維新の新たな解釈、視点は大いなる収穫であった。池波正太郎の昭和物を是非に読んでみたかったもの。講談社が完本池波正太郎大成として30巻だしているが、完本が出ている作者はどれほど居るのだろう。
「炎立つ 」(ほむらたつ)
高橋克彦
NHK出版

2012.9.24
「巻の壱 北の埋み火」
平安時代後期の奥州を舞台とした朝廷と安倍一族との闘い。全五巻の壱。朝廷は蝦夷(えみし)たちを俘囚(ふしゅう)と悔るばかりだった.。朝廷の脅威は、急速に力を蓄えはじめた平氏、源氏を筆頭とする武士団で、陸奥は忘れ去られていた。そんな中、陸奥守、藤原登任(のりとう)の私欲で安倍一族との戦いが始まる。奥六郡を治める豪族、安倍頼良(よりよし)の次男安倍貞任(さだとう)は、鬼神の如く雪の栗駒を越えで鬼切部を攻め落とし、出羽城介、平繁成を取り押さえ、奥六郡の平安の為の和解を目論んで登任に引き渡す。戦いに敗れた繁成は、不正を企てる登任をこれ以上、奥州にはおけないと都に同道する事になる。
安倍貞任の鬼神振り、亘理(わたり)の権大夫、藤原経清(つねきよ)の武者振りが、男っぽい簡潔な会話の遣り取りで際立ち引き込まれていく。

2012.10.8
「巻の弐 燃える北天」
朝廷は源頼義を陸奥守として任命した。源氏子孫の基盤を揺るぎないものにせんが為、戦功を狙って戦いを仕向ける頼義に対し、ただひたすらに恭順の意をしめす忍の一字の安倍頼良改め頼時との息をつかせぬ駆け引きの連続。未だ弐巻目なのに、えっ、もうそうなの、と思わせる程の急なる展開。頼義の卑劣な策謀で、遂に安倍一族と源氏の永い宿命の戦いが始まる。頼時の娘、結有(ゆう)と結婚した、朝廷側の藤原経清は、頼義の捨石とされて死ぬぐらいなら頼時の見方となって武士(もののふ)として命を燃やしたいと、安倍一族につく。一方、安倍同族の離反を治める戦いで安倍頼時は戦死。安倍貞任が棟梁となる。源頼義と、安倍貞任との吹雪の中での黄海(きのみ)の戦いで、頼義側は、子飼いの七将の内四人が戦死すると云う完敗。頼義は、残党狩りから経清の情けで、危ういところを助けられる事となる。
心の襞にドンと響くと云うか、心に沁みると云うか、心にグットくるねぇ。北方謙三ばりに心くすぐられる心憎い作者。

2012.10.13
「巻の参 空への炎」
源頼義の奥州赴任から安倍氏滅亡(1062年)までに要した年数から、奥州12年合戦とも云われる、前九年の役の安倍氏、源氏存亡をかけた激突の巻。源頼義、義家の策謀、安倍貞任実母の源への内通と云う安倍一族の内紛、義家と情けを交わす貞任の妻、流麗(るり)、出羽の清原武則(たけのり)の参戦と巻を通して勝つか負けるのか戦い。安倍を燃やす二つの火であった貞任と経清は、炎となって空に還って行く。
手に取る様に伝わってくる緊張感、臨場感。安倍重任を見殺しに出来ぬと、止めるのも聞かず助けに行く藤原経清、それをまた、「人の道を捨ててまで俺は俺でいたくない」と飛び出していく安倍貞任らのもののふとしての美しさ、清々しさ。安倍の人柱となって死んで詫びる流麗の人間の哀れさ、哀しさ。正に感涙に堪えられぬ心打たれる感動巨編。

2012.10.15
「巻の四 冥き稲妻」(くらきいなずま)
清原一族の確執の後三年の役、戦いの巻。安倍貞任、藤原経清の死により安倍が滅び、出羽の清原一族が治めることとなった奥六郡。経清の妻、結有は敵方の清原武貞へ嫁がされ家衡(いえひら)誕生。経清の息子、清丸は清衡と改名し、周り全員が敵の中、安倍氏の再興を心に誓う。武貞嫡男の清原真衡(さねひら)、連れ子の清衡(きよひら)、三男家衡の異父、異母兄弟と云う複雑な三人兄弟の確執、緊迫した展開にグイグイと引っ張られる。源義家の陸奥守就任、戦いへの介入で、家衡の哀れな死と云う形で、その確執にも決着。清原から藤原の姓に戻した藤原清衡の時代、楽土平泉を舞台とする黄金の世紀が始まる。
真衡による武貞毒殺、金山を支配する物部一族の乙那手配による真衡の刺殺、家衡による清衡館の襲撃、清衡妻子の虐殺と目まぐるしい展開、書きも書いたり、作りも作ったりと云った感じ。推理小説作家でもある作者面目躍如。

2012.10.19
「巻の伍 光彩楽土」
中尊寺金色堂を建立した、奥州藤原氏開祖の藤原清衡から基衡、秀衡、泰衡と四代続いた藤原氏の栄光と終焉の巻。清衡が陸奥を一つにして八十年が過ぎても、蝦夷の俘囚と言いたてる朝廷への足掛かりを狙って、秀衡は鞍馬寺に預けられていた十五歳の源義経を迎える。これが藤原氏終焉の始まりであった。義経は、平氏打倒で兵を挙げた頼朝の処に、八年過ごした陸奥を抜け出て駆けつける。その後は、ご存じ、一の谷の合戦、壇ノ裏の戦いの大活躍。その軍功が禍し、頼朝の謀で義経追討の院宣を内裏より受けてしまい逆賊の放浪の身となり、最終陸奥に八年振りに逃げ込む事となる。泰衡は、「義経の首を刎ねれば安倍頼良から続いた蝦夷の道から外れる。蝦夷の国は陸奥に暮らす者ら全ての胸の中にある。形として陸奥はなくなったとしても滅びはしない」と、頼朝には、義経の影武者の首を差し出し、義経を津軽に逃がし頼朝と戦う事となる。

人として、義、誠を貫く生き様の美しい感涙ものとも云えるし、綺麗事の作り物とも云える。登場人物が、歴史上の人物でなければ、物語としては、人としてあるべき生きる姿が描かれた一級の感動ものである。
本巻では、泰衡は蝦夷の鏡のように書かれているのだが、歴史上の泰衡は、弟二人までも虐殺し、「義経を大将軍として国務せしめよ」との親の遺言も破り、討ち取った義経の首を頼朝に差し出し、命乞い迄もし、最期は家来に裏切られて奥州藤原氏を滅亡させたと評判が良くない。歴史物の評価は難しい。



「竜馬がゆく」
司馬遼太郎
文春文庫

50年前、産経新聞に4年に亘って連載された「薩長連合、大政奉還、あれぁ、ぜんぶ竜馬一人がやった事さ」と、勝海舟に云わせしめた程、幕末諸藩の英雄豪傑を煙に巻き、奇想、奇策によって天下の風雲を一手におさめた坂本の寝小便垂れ(よばあったれ)竜馬の劇的な生涯の物語、全八巻。

2012.10.21
「竜馬がゆく(一)」
土佐の郷士の次男坊、坂本の寝小便たれ、洟(はな)たれと言われた坂本竜馬、嘉永6年(1854)19歳の時に江戸へ剣術修行に旅立つ。軍艦四隻の黒船が来て、一転して幕末の風雲時代に入る。土佐藩、山内侯の肝煎で、諸流選りすぐりの剣士による大試合が催される。北辰一刀流大目録皆伝までになった、桶町千葉道場の塾頭、竜馬が麹町斎藤弥九郎道場(神道無念流)の塾頭、長州の桂小五郎を破る迄の話。

西郷の竜馬評、「天下に有志は多くいるが、度量の闊大なる事、竜馬ほどの者はいまだ見た事がない。竜馬の度量の大きさは測り知れぬ」と云わせしめた竜馬の行状が、平易な綴り、軽妙なタッチで巧みに語られる。その結果、話が進むにつけ、読者の心の内に、西郷の云う竜馬像が徐々に作り上げられ、仕舞には竜馬が大切な親友の一人になり、司馬遼が巧みに綴る竜馬行状、土佐家老の美しい娘お田鶴(おたず)様、人斬り以蔵、泥棒値待ノ藤兵衛(ねまちのとうべえ)、千葉道場主の長女さな子、岡場所敵娼(あいかた)冴(さえ)とのハプニングに一喜一憂、心弾ませのめり込んでしまう。

2012.10.25
「竜馬がゆく(二)」
開国か攘夷かで揺れるなか、井伊直弼が桜田門外で暗殺されるという驚愕の事態が起こり、幕末動乱の時代へと突き進んでいく。先進の薩摩、長州に遅れまいと、固陋な土佐藩で家老吉田東洋を暗殺し、藩ぐるみ勤王化して天下へ押し出そうとする武市半平太のやり方に、限界を感じた坂本竜馬は、さらに大きな飛躍を求めて、ついに脱藩をする。この脱藩には、竜馬第二姉お栄の自害、第三女乙女(おとめ)が嫁ぎ先岡上家を去ると云う犠牲を伴っている。

天を駈け、地を奔(はし)るぞくぞくする竜馬像が司馬遼により着々とつくられていく。

2012.10.30
「竜馬がゆく(三)」
夷臭(いしゅう)の滲みこんだ海軍奉行並、勝麟太郎を殺ると云う千葉重太郎に同行して、竜馬は勝の屋敷を訪ねる。お互い初対面で、勝は竜馬を「英雄」とみとめ、竜馬は勝に「わしを弟子にして仕(つか)ァされ」と平伏する。勝との触れ合いによって、竜馬は、幕府を倒し士農工商のない門閥に拠らない国家をつくり、日本は狭いから唐、天竺、アメリカまでも船と商売でかせぐ以外に立国の方法がないと、どの勤王の志士ともちがう独自の道を歩き始める。竜馬の生涯を彩った楢崎お竜(おりょう)の登場。寺田屋お登勢の養女になり、その後、寺田屋のおりょうと呼ばれるようになる。

司馬遼執念の資料集めに裏付けされた閑話休題、余談で、語られる竜馬像。そして折に挿入される竜馬語録「世に生を得るは事をなすにあり」。何度でも読む値打ちあり。  

2012.11.2
「竜馬がゆく(四)」
急進的な尊皇攘夷派の長州藩が、会津藩と薩摩藩らの主導により、任を解かれて京都から追放され、公卿七人を擁して防長二州に帰る事となる文久の政変の勃発。土佐では、山内容堂が、武市半平太を筆頭とする土佐勤王党の幹部を一斉逮捕し土佐勤王政権も瓦解。一方、竜馬は、勝とともに神戸軍艦操練所を建て、遂に幕府軍艦観光丸を手に入れる。一介の素浪人が軍艦一隻ほしいとの夢が叶う事となった。

武市夫人富子は、半平太在獄二十余月、着衣のまま板の間に身を臥せ、畳の上には寝なかったと云う。革命は、家族をも巻き込んで苦を強いる事となる。

2012.11.13
「竜馬がゆく(五)」
長州藩の異常加熱は、浪士、志士団の暴発を呼び、幕末争乱の引金となった新撰組による池田屋ノ変を誘発し、それに憤激した長州藩兵の大挙上洛(禁門の政変、蛤御門の政変)、遂には、幕府による長州征伐となっていく。一方、竜馬の神戸海軍練習所は幕府により解散となり、竜馬は船を失い、薩摩藩を大株主とした海軍会社設立を目指す事となる。また、司馬遼が「神が幕末の混乱を哀れんで派遣した妖精」と譬えた勝海舟を、竜馬が師匠とする事ができたのも竜馬の魅力に拠るのだろう。

「君辱しめらるれば臣死す」それのみが武士である、万世に汚名が残るか残らぬか、正義に殉ずるのは男児の本懐、士道に斃れと云う史上最強の剣客結社新撰組の気概、等々、男たる者の道をもって勇躍する浪士、志士(志士とは、すでにその名が冠せられたときに、命は無きものと思っている者と、竜馬は言っている)に心踊らす第五巻である。肥後藩士の辞世の歌「屍をば、都の苔に埋(うず)み置きて、わが大君の護りとはせむ」の志士の心意気が全編に溢れている。

2012.11.18
「竜馬がゆく(六)」
天下の罪藩の長州にかかわる大事件の加害者は、つねに薩摩であり、被害者役はつねに長州。竜馬は、互いに憎悪しあっているこの両藩の連合を目論む。薩長連合、出来れば幕府が潰れる、出来ねば国が潰れると。その奇跡とも思われる出来事は、竜馬の西郷への「長州が可哀そうではないか」の一言で、なった。司馬遼さんは、「事の成るならぬは、それを言う人間による」と云う。竜馬は、伏見寺田屋で、与力同心以下百人余りに取り囲まれ、無事に薩摩藩邸に逃げ入ったものの、刀疵を負い、おりょうと共に、霧島山麓の塩浸(しおひたし)温泉に湯治に行く。また、薩摩藩の全面協力で長崎に拠点地を置く海軍会社亀山社中を設立。幕軍は、第二次長州征伐で、高杉晋作と竜馬艦隊に敗れる。

竜馬の爛漫の春、イイね。司馬遼さんは、薩長連合の件を、数年考えつづけ竜馬と云う若者を書こうと思い立ったのは、この件に関係があると云っている。

2012.11.24
「竜馬がゆく(七)」
竜馬は、土佐藩と協力し、亀山社中を改称し海援隊と、そして中岡慎太郎の陸援隊と、海陸それぞれの浪人結社を作る。犬猿の仲の薩長を連合し巨大な倒幕精力をつくりあげた竜馬が、内乱を避け、外国に侵食する暇を与えず、京で一挙に新政府を樹立する無血革命、大政奉還と云う驚天動地の奇手を言いだす。そしてまた、ほとんどそっくり明治維新の綱領として引き継がれた、倒幕後の天皇をいただいた民主政体に関わる八策をも提唱する。徹頭徹尾、主戦論者の薩長をどう説得、納得させるか。

藩の利益より、国の幸せを考えた竜馬。人たる者は平等だと、個人主義の確立を目指した竜馬。維新史の奇跡の竜馬。幕末維新に生きた幾千人の志士たちのなかで一人も類例をみない型破りの竜馬。乙女大姉の薫育が、そんな竜馬を作り、竜馬に全ての基礎を与えたに違いない。

2012.11.28
「竜馬がゆく(八)」
岩倉卿がすすめる、討幕の密勅が薩長に下り開戦となってしまう密勅降下策がなるのか、竜馬が唱える、徳川家を残す道、徳川家のためにもなり天朝の御為にもなる希世の妙案、大政奉還がなるのか。徳川慶喜は、四十余藩の重臣を招集、諮問し大政奉還を決める。竜馬が企画し慶喜が決断、二人の合作で歴史が回転した。大政奉還後の新官制、新政府役人案、新政府の基本方針八カ条を竜馬は提唱。その後、竜馬は中岡慎太郎共々、幕府見廻組組頭他六人により斬殺されてしまう。「天が、この国の歴史の混乱を収拾するために竜馬を地上にくだし、その使命が終わった時、惜しげもなく天へ召しかえした」。
 
維新の奇跡、事をなす人間の条件は、私心を去って自分をむなしくする事。その結果、人が集まり智恵と力が持ち寄られる事となる。それが竜馬なのだ。士農工商のない万民一階級社会を目指すと云う竜馬の発想はそうでないと出てこない。
全八巻も、終局が近付くにつけ残りページが少なくなり、それを惜しんで、何時までも竜馬の世界に浸っていたく、暫し本を伏せた。 


「しあわせなミステリー」
宝島社
2012.10.28

伊坂幸太郎、中山千里他、4名のミステリー短編。読み続けるだけの興味を何ら起こさせない、読み続けるにも努力が要るどうしようもない話。他の二編は読むのを止め。こう云うものが活字にされる事が不思議。
「BEE」伊坂幸太郎
毒針を用い依頼された標的を殺害するススメバチと呼ばれる男が、自分の庭の金木犀に巣くった、本当のスズメバチを退治する話。気を利かしたと思われるような綴りも鼻につくだけ。飼い猫が死んだ話も取ってつけたよう。何も残らない。
「二百十日の風」中山千里(なかやましちり)
廃れるだけの限界集落故に、産廃処理施設を誘致して村おこしを狙う連中と、村の自然保護の為、誘致に反対する女との戦い。その戦いを二百十日の風が解決してくれる話。ファンタジーを狙ったものなのだろうが、ファンタジーどころかナンセンスを感じてしまう。
「蜩ノ記」
葉室麟
祥伝社

2012.10.31 
2011年直木賞受賞作品。農民に慕われていた、羽根藩、郡(こおり)奉行の戸田秋谷が、江戸屋敷でのご側室との密通、それに気づいた小姓を斬り捨てた罪で、本来なら家禄没のうえ切腹の筈が、自宅に幽閉され、家譜編纂の継続と十年後の切腹を命ぜられる。何か隠された事情がある出だしに、先ずドンと引き摺り込まれる。加えて、石礫(つぶて)で川魚を獲ったり、鳥を殺めたりするその10歳になる息子、郁太郎の不気味さが、その後の尋常でない展開をほのめかす。郁太郎の農民の友達が牢問で亡くなり、郁太郎によるその仇討ちと、予期もしない凄絶な感涙のクライマックスへ。決着がついた後、悪の老中が「秋谷の子が、わしの前に現れるまで、なんとしても家老の座にしがみついておらねば」と、大変粋な終わりかたにも感心。

秋谷の凛とした生き方、郁太郎の友達への想いが、美しく綴られる四季の移ろいに交錯して、ひしひしと胸に迫ってくる。全編を通じ、清々しさ、静謐さが漂った、プロの中のプロが作った、最近の本では滅多にお目に掛かる事がない傑作中の傑作。寝るを惜しんで一気に読み切った。

読書ノート

(本タイトルのフォント青色の書籍が、私の好きな「100冊の本」候補)

Home  Page へ







2012.10月

読書ノート   トップへ