「水のかたち」上・下
宮本輝
集英社

2013.5.14
結婚して子供を産んで育てるだけが自分の人生だったのだろうかと考える事が多くなった50歳の主婦が主人公。自分という女が生まれて生きたというかたちは、どのようにして残っていくのだろう。何かを残すどころか、生まれて生きたという跡形すらない、やがて姿を消してしまうのだと思い知る50代。門前仲町の骨董屋で、文机、手文庫、鼠志野の茶碗を、がらくただから持って帰ってと手に入れる。その鼠志野が三千万の値打ちがつく。そして手文庫からは、1946年に北朝鮮から38度線を越えて、148人の日本人をを連れて命懸けで日本へ帰ろうと試みた男の壮絶な脱出行が書かれた手記が見つかる。そして、焼き物も売る喫茶店の経営を任される事と大きく運命が変わっていく。そして、人と人とのつながり、人間の縁や情や運、そう云うものが重なって、人生は動いていくのだと、流れと共にかたちを変え続ける水に沿って生きてきて、今日の自分というものを得たと知る事となる。

作者は、あとがきで、善き人たちとのつながりで生ずる幸福への流れをこの本で書いた事、そして北朝鮮からの脱出行は実話瀬ある事を述べている。

主人公のみならす、大学時代の友人のジャスシンガー、居酒屋の女将となる姉の、自分の人生を生きていこうとしている生き様が鮮やかに描かれ、まさに静謐な水の流れの中で話が、巧みに展開していき、心がまさに潤う感じ。久し振りの感動作品。ただ、最後の鼠志野の茶碗の返済を迫る謎の愛人業の女との話は、水の流れに水を差した感じで感心しない。
         
「等伯」上・下
安倍龍太郎
日本経済新聞出版社

2013.5.23
2012年直木賞受賞作品。武家の生まれなるも、11歳で染物屋に養子に出された安土桃山時代の絵師、長谷川又四郎信春(等伯)が、狩野永徳と肩を並べる絵師になりたいと、どん底から這い上がるような気持ちで絵の道に精進した物語。絵に執着したばかりに養父母を自害させてしまう。絵の勉強のため能登から京にのぼる途中、織田と浅井との戦いに巻き込まれ比叡山から逃れる途中で数人の織田勢を討ち取り、京都奉行から追われる身に。

信長の死後、等伯の運命が変わる。等伯は聚楽第御殿の障壁画を狩野永徳らと共に担当し長谷川派を立ち上げる。大徳寺山門の壁画を描く事で、狩野派の牙城を突き破った事となったが、山門の楼上の利休像が秀吉の不快を招き利休は切腹。等伯も連座してどん底に付き落とされる。しかし、三歳で身罷った秀吉の子、鶴松の菩提寺の絵を等伯に任され、等伯と息子、久蔵が描いた襖絵や屏風は、狩野派を押さえて長谷川派の時代が来た事を天下に知らしめる

面白い事には異論はないが、等伯の人間性が貶められているのを強く感じ、不快。こんな卑しい事をする筈がない思う場面が多い。また、等伯が、息子の仇を取るべく、自分の命を賭けて描いた松林図、それを完成させたら息子の事はどうでもよくなるとは、納得し難い。 
「壬生義士伝」上・下
浅田次郎
文春文庫

2013.5.28
2000年度柴田練三郎賞受賞作。盛岡南部藩二駄二人扶持の足軽、吉村寛一郎はうち続く飢饉の為、妻子を養うために脱藩し新撰組に入隊。人殺しの度毎の手当て全てを国元に仕送りしてしまうので、守銭奴と罵られ嘲られながらも、生涯を愚直に義を貫きとおした生き様が、元新撰組同輩、御組頭中間、息子の親友等の人々の思いでとして語られる。

新撰組三番隊組長、斎藤一は「わしらはみな、あの男が眩くてならず、その眩さゆえに憎くてならなかった。善なるものがいささかの矛盾も瑕瑾もなく男として父として完成している吉村寛一郎を殺せば、善なる世界の破滅に等しいと」吉村寛一郎に斬りつけるも仕損じてしまう。斎藤一の独白は吉村寛一郎の南部武士の意地と矜りを貫いた生き様を見事に語る。また、御組頭中間、佐助の語り、そして長男、吉村嘉一郎の「母上様、どうか来世にても父上と夫婦になり私をば産んで下んせ。お願えでござんす母上様」の書簡は、涙を禁じえない。著者「平成の泣かせ屋」の異名、面目躍如。

鳥羽伏見の戦いより、南部藩大阪蔵屋敷に満身創痍で辿り着いた吉村寛一郎に切腹を命じた、幼なじみの親友でもあった、御組頭、大野次郎右衛門の遺書「吉村寛一郎、其人格質朴誠実、高邁潔癖ニシテ不賤、正ニ本邦武士道之亀鑑、誠之南部武士ニテ御座候。身命不惜妻子息女ニ給尽御事、断テ非賤卑、断テ義挙ト存ジ候」に全てが語られている。

夫婦愛、家族愛、同志愛、そして男のあるべき生き様が余すところなく語られ、文句なく100冊の一冊入り。

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(本タイトルのフォント青色の書籍が、私の好きな「100冊の本」候補)

2013.5月