「地下鉄に乗って」
浅田次郎
徳間書店

2013.6.7
1995年吉川英治文学新人賞受賞作品。真次は、地下鉄永田町駅から赤坂見附に通じる長い地下道、階段を昇り下りしている内に、不思議な出口に気付き階段を昇ると、兄が自殺した30年前の世界が広がっていた。学園の生徒会長で新聞部の部長で弁論大会では毎年優勝していた兄は、立志伝中の傑物となった父が妾宅から帰るたびに、父の非を諫め、時として罵っていたが、或る日、父と喧嘩をして家を飛び出し、地下鉄に飛び込んで死んでしまう。その兄に会う。

そのタイムスリップは、地下鉄に乗って出征する父、満州から引き揚げ闇ドル買い、PXの商品の横流しで稼ぐ父との遭遇へと拡がっていく。そして、究極のタイムスリップは、真次が、女房と別れ一緒になろうとする女、みち子が、何と、父と愛人の子で、みち子自身が、真次の為に、自分自身を身ごもっている母とともに階段を転がり落ち、自らの存在を消す事となっていく。

地下鉄の温かな風、包みこんでくれる安らぎが、真次の家庭、父の過去を描きだす事となり、父の「恩はさんざん売ってきたけど、恨みをこれっぽっちも買っていない」と云う生き様が、明らかとなってくる。父を忌避し、軽蔑し家をでた真次であったが、父が満州で、命を助けた高校時代の真次の恩師に「僕は、ただ、父のように生きるだけです。小沼佐吉の子供ですから」と真次に言わしめる。

筆者は、「自分らしい、納得のいく作品を書いた時の為に、ずっと胸の中に温めていたタイトルを、この作品につけた」と述べている事からして、この作品が実質的な意味で浅田次郎スタート作品なのであろう。とにもかくにも読者をして、ゾクゾクわくわくさせる一級品である。
それでも人は生きていく
瀬戸内寂聴
皓星社

2013.6.12
この著者は、テレビ画面にその顔がでたら、すぐチャンネルを変えてしまう不愉快な人の一人なのだが、この本は「91歳の心をこめた遺言」とあったので、何となく手に取り読んでみた。ふざけた話。過去に掲載された、徳島ラジオ商殺し、連合赤軍とオウム真理教、 反戦と反核の継ぎはぎの印刷本。昔からそうであったのだが、相変らず卑しい売文家だ。

「現在の法律は存在する事が有害。裁判の恐ろしさの方が、人間の犯す罪よりずっと甚大。人が人を裁く理不尽さの裁判は信用しない。裁判で人を裁く立場の人間の心に問うてみて罪人でないと云い切れる人はいるのだろうか」と子供じみた事を言う。この人は「殺人と云う、自分のした事の意味を考え、殺した人達の生命の意味を考える事が、殺した人に対する義務」との死刑廃止論者なのだが、全くもって身勝手な一方的な思い上がり。 

これからは、チャンネルを切り替えるどころでない。ビールグラスを画面に投げつけてやろう。
「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかった」
増田俊也(ますだとしなり)
新潮社

2013.6.18
2012年大宅壮一ノンフィクション賞、2012年新潮ドキュメント賞受賞作。木村は、柔道をスポーツでなく命を賭した武道としてとらえ、試合の前夜には必ず短刀の切っ先を腹部にあて、切腹の練習をして試合に臨み負ければ腹を切る、その覚悟をもった武道家木村の生涯。力道山に負けた男、木村と云う、単層的な見方に反論するために書いたと、そして「木村は負けたわけでない」と著者は言う。

18年に及ぶ取材に基づいた、二段組み696頁の大作。

砂利採り人夫の家に生まれ、小学校に上がる頃には砂利採りを手伝わされていた。砂利採りで鍛えられた強靭な腰と腕力で、小学生時代から相撲をやっても喧嘩をやっても負け知らずとなっていく。熊本県児童相撲大会では優勝をし鎮西中学の柔道部にスカウトされ快進撃が始まる。中学四年で四段と云う驚異的スピード昇段記録を作った木村を、拓殖大学柔道師範の牛島辰熊は熊本母校の鎮西中学にスカウトに出向く。十五年間不敗のまま引退する史上最強の鬼の木村の誕生となる。木村の全盛期は、拓大予科三年、二十歳の秋、全日本柔道選士権初制覇から始まる。人より三倍努力で、一日10時間を越える練習、大木に帯を巻いて深夜1000回の打ち込み。天覧試合優勝を逸している牛島は、天覧試合優勝を木村に託し、鍛え抜いた結果、天覧試合制覇も成し遂げる。 

読み続けていくのだが、木村寄りの言い回しに違和感を感ずる。「高等小学校二年の時、全九州相撲大会決勝で、得意の大外刈りで相手を叩きつけるが、木村の勇み足があったとして準決勝に終わる」。勇み足があったとして負けたのでなく、勇み足で負けたのである。また、タイトルも然り、大仰な言葉遣いもあって、飛ばし読みをしてしまう。感涙もの、感動ものと云う書評が多いが、私には、木村の生き様は伝わってこなかった。斜め読みをした小生には云う資格なしだが。 
「蒼穹の昴」 
浅田次郎
講談社文庫

2013.6.22
「蒼穹の昴」1
時代は中国清朝末期、貧しき糞拾いの貧農の三男、少年春児は、星読みの媼(おうな)白太太より「汝は秦の始皇帝、清朝中興の天子、高宗乾隆帝と同じ、世界を統(す)べる昴の星の下に生まれついており、必ずや、あまねく天下の財宝を手中に収むるであろう」と、そして幼なじみの兄貴分の地主の次男梁文秀は、「汝は長じて殿に昇り、天子様の傍にあって天下の政(まつりごと)を司る事になる」とそれぞれ、未来を予言される。科挙の試験を受ける文秀に従って春児も、都へ上がる。文秀は、二万余の挙人が切磋し命を削って競い合って、殿試験者中の第一等状元として進氏に登第する。春児は、貧しい家族のため自ら浄身し宦官となり、立身出世を目指す。

馴染みのない中国名、難解な言葉で大変読み難いのだが、宦官、科挙といった清朝時代の社会の仕組みが大変巧みに、興味深く描かれ、まるで清朝時代にタイムスリップしたかの如く引き込まれる。僅か10歳ばかりの春児が、母、妹の為、己の手で男性を切り落とし宦官を目指す生き様は鮮烈。

2013.6.28
「蒼穹の昴」2
春児は、厳しい鍛錬の後、皇太后宮で大武劇を披露することとなり、西太后を歓ばし、西太后に春児、春児と可愛がられていく事となる。一方、文秀は、洋を排し、旧態然たる国家の態様を固守せんとする西太后の執政を終わらせ若い皇帝を立てようとする帝党派と、西太后の権力に群がり、その周囲を固める后党派の諍いに捲き込まれていく。科挙登第の上位三名、文秀、順桂、王逸の二十歳そこそこの三偉丈夫は、帝党派、近代的な大清帝国を目指す改革派に組み込まれていく。

春児の将来を約束した白太太の予言は、実は「春児に昴の宿星などありはせぬ、あやつに偽りの卦を伝えた。あらゆる艱難に打ち克ち、自らの運命を自らの手で拓けるように、生涯に一度だけ偽りの卦を立てた」との白太太の自白で覆えり、先行きの展開が面白なる。

「満なれば損を招き、謙なれば益を受く」

2013.7.3
「蒼穹の昴」3
総署大臣の栄禄を初めとする后党と、皇上陛下が最も信頼している礼部尚書の楊喜驍中心とした帝党を巡る権力闘争が激しくなる中、楊喜驍ヘ、太后陛下よりと言われた下賜品の長靴に潜んでいた蠍に刺され絶命。梁文秀の帝党派は、その死を隠匿し西太后引退を引き出す。一方、李春雲(春児)は、西太后が心を許す世界でただ一人の人間となり、高級太監の地位を得るのだが、人の幸福は決して金品では購えない事、愛する事、愛される事が人間の人間たる幸福だと知る様になる。

2013.7.8
「蒼穹の昴」4
いわゆる戊戌の変法(ぼじゅつのへんぽう)に対する、西太后のクーデターにより、変法維新の旗頭、康有為は香港に、梁文秀は日本に逃れ、皇帝は、中南海の離れ小島に幽閉される戊戌の政変の巻。
李春雲の妹、玲玲の振る舞いで、梁文秀は、孔子の忠と悌の原理を思い起こし 変法維新頓挫の原因は、西太后の専横でも、栄禄らの守旧派の奸計でも、袁世凱の狡知でもないと、心のうちなる専横、驕りの誤りと悟り、何としても生き永らえて、四億の民に、施すのでなく尽くそうと決意する。李春雲は、西太后が呉れると云う玉も黄金も宝石も、全て何も要りませんぬと富への渇望を放棄する。

若き李春雲と梁文秀二人が、それぞれの夢を抱き、その実現に向かってのがむしゃらな生き様、そしてあるべき生き方に気付いていく様に引き込まれる。梁文秀の、己の驕りに気付く語りの段は感涙ものである。読み終えたのが朝の3時過ぎ ベッドに直ぐ入ったのだが一時間ほど眠れず余韻に浸っていた。著者は、「私はこの作品を書くために作家になった」と言っているほどだから、この作品に込められた作者の情熱も分かろうというもの。

ただ、戊戌の政変と云う歴史物だから毛沢東迄も出てくる登場人物の多さで焦点がぼけ、李春雲と梁文秀二人の生き様がもっと浅田次郎流に際立たされなかった点に不満が残る。史実は物語にはならない。浅田次郎流の虚構のダイナミズムが欲しかった。

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2013.6月