「柳生十兵衛八番勝負」
五味康祐
徳間文庫

2014.1.4
標題作他、好色ひざ枕夕映え剣士月の舞手裏剣お艶難波一刀斎自殺す、の六短編集。
「柳生十兵衛八番勝負」は、梟と、鳥刺しと、神隠しと、カラテと、含み針お万と十兵衛の五番勝負。柳生新陰流開祖、石舟斎宗厳(むねよし)、柳生藩初代藩主、宗矩(むねのり)、その嫡男、十兵衛登場の柳生物の嚆矢。
 
オランダ国威発揚の為、極悪死刑囚のフェンシング剣士が監獄から出され日本に派遣される事で始まる柳生十兵衛八番勝負だが、そのオランダ剣士との立ち合いもなく五番勝負で終わってしまう未完で残念。三代将軍家光の密命「影となって予を扶けてくれ」と、柳生十兵衛の隠密の生き様が描かれる。血の脂と、丈なす髪の強さを活かして死ぬのが極意の女忍者との戦いの「梟と十兵衛」が凄惨、凄絶。

その他の剣豪短編でも、剣の奥義を極めて始めて描けるような卓抜な剣戟描写、剣豪の非情なる生き様が楽しめる。「五味の柳生か、柳生の五味か」と云われる柳生武芸帳を読んでみよう。 
「空也上人がいた」
山田太一
朝日新聞社

2014.1.5 
「あと一つだけ小説を書いておきたかった」と語る77歳の著者の最後の作品。

46歳の保険公社に勤める女性ケア・マネージャー、27歳の特別養護老人ホーム勤務の男性ヘルパー、そして81歳の要介護老人三人三様の悲しみが語られ、そして過ちを抱えた後者二人の、自分の犯した過ちへの落とし前がどうつけられたかの物語。車椅子から老婆を放り出し死なせてしまったヘルパーに、その彼に介護を依頼した老人が、京都六波羅蜜寺の空也上人像に会いに行かせる。誰でもが持ってる生きてる悲しさ、死んじまう事の平等さを分かって、一緒に歩いてくれる人、何もかも承知で、ただ黙って、同じようにへこたれて歩いてくれる人に会わせたかったのだ。

当のヘルパーは、46にもなって男性との経験が一度もないケア・マネージャーに、自分の犯した過ちにたいする落とし前をつけると事となる。

過ちを背負って生きなければならぬ人間の、悲しみは、その人それぞれの空也上人を見つけることで救われると云うのか、その人なりの落とし前をつけることで納得して死んで行けると云うのか、答えのない問題が投げかけられている。

ただ、受け売りの軽さ、見え見えの嘘っぽさを感じ、他に5冊程借りてきたが読む気にはならない。 
「日本人の矜持」九人との対話
藤原正彦
新潮社

2014.1.8
藤原氏と九人との対談集。いくら経済を改革しても、たかが経済。せいぜい国民の生活が多少、楽になるだけで、誇り、自信を失った日本人の腐った魂は元には戻らない。真の教育者がいなくなった今、素晴らしい古典、書物、童謡を通じ、子供達に誇りを学ばせるしか方法はない。活字文化の復興以外に日本が進むべき道はないと言い切る。

教育学者齊藤孝と(日本らしさを作るのはDNA的な血でなく、日本語と云う言語)、国際政治学者中西輝政と(論理のつまらなさと伝統の重要性を尊重する英国に学べ。伝統を守る事で誇りや自信に)、曽野綾子と、山田太一と(弱さを認める)、起訴休職外務事務官佐藤優と、五木寛之と(涙は魂を浄化する。悲しい人には悲しい歌が必要。昔の流行歌には歌謡の品格があった)、ビートたけしと、佐藤愛子と、阿川弘之と(佐和子さん曰く「阿川家は、すべて「ならぬことはならぬ」」の対談集。

かの数学者岡潔は、世界の三大難問を解く前に、芭蕉の俳句を勉強した。小学校からの自由、個性の尊重、子供中心主義の悪しき教育を直せば、日本人はかつての誇り、自信を取り戻す事ができる。儚いものに美を見出しているのは日本人だけ。歌謡曲は、日本の文化遺産。大切なのは、美的感受性。情緒力がないとブレイクスルーって起きない。人生すべてイッツ・ソー・イージー、そう思わないと脳みのが働かない。繁栄はしたけれど、自然は壊され、都会は醜く、子供は活力を失い、社会不安に接し、幸せを達成した気がしない。自国が生んだ文学や芸術など文化遺産に触れ、歴史を学ばねば真の誇りを抱く事はできない。誇りを取り戻す事が祖国愛(自分の国の文化、伝統、歴史、情緒、自然等を愛する態度)の基になる。21世紀は、いかに自由を制限するかという時代。本来、確保すべき自由とは、権力を批判する自由だけで、あとは制限しても差し支えない等など教わる事が多く、必読の書。

今年は、古典も読もう。取り敢えず、途中で放り出した源氏物語を復活させるか。  
「チルドレン」
伊坂幸太郎
講談社

2014.1.10
銀行強盗事件、家裁家事調停、そして脅迫事件の金の受け渡しと云った非日常な事態に本音で対処する男の痛快、ユーモア小説。家に押し入ってきた強盗が抱え込んでいた借金を清算させる為、その強盗に誘拐されたフリをして、親から金を引き出し、その借金の精算を手助けするチルドレンは傑作。「吾輩は猫」が醸し出すユーモアを感じさせる小気味良い小説と云える。
「一路」上・下
浅田次郎
中央公論新社

2014.1.16
世襲の名前が自分の代から突然「一路(いちろ)」となった小野寺一路。北辰一刀流の免許皆伝、東条学塾の塾頭を務めた穎才。蒔坂家拝領屋敷全焼による父の急死で、何一つ申し送りを受けていないまま、十九の若さで世襲で参勤交代の御供頭の大役を継ぐ事となる。屋敷焼け跡から見つかった、二百幾十年前の御供頭心得に記載された古式に則った、百にも満たぬ小体な行列ではあるけれども、絵屏風のように美しく勇ましい江戸見参の行軍を設える。近江、美濃国境の田名部郡から江戸までの中山道十二日間の参勤道中をどう乗り切るか。

最後に、「一路」の意味は、中山道の一路でなく、命を懸くる道を歩め。一路は人生一路の謂(いい)であると知る事となる。

痛快、愉快、面白い。目頭が熱くなる一方、抱腹絶倒。ユーモア小説では引けを取らない浅田次郎の真骨頂。同時に、それぞれの身分に応じ、足るを知り存分に励む事、何事にも一所懸命の大切さ、人生の処し方を知らしめてくれる。謹厳居士など、けっして褒められたものでない、人間には隙がなくてはならぬ。忠の正しき意味は、中なる心、即ち真心であり真実なのである。横着は不忠。武士の面目は他聞他目にあらず、常に自聞自目に恥ずる事なきよう生きよと。

「一路」上は、垂井の宿より下諏訪の宿までの六日間。馬籠宿の焼け跡での村娘との対話、妻籠宿後の与川崩れの難所等の出来事で、蒔坂家御殿様が噂通りの芝居狂いの大うつけ者、酔狂でも不見識でもないと一行が思い知ってくる。

三日目の妻籠宿で、蒔坂家御後見役、国家老の二人が、あろうことか御家乗っ取りを画策していると云う御陣屋の噂を一路は、知る事となる。御家悪事が被い隠される目的で、道中この先何が起きてもおかしくない。風雲急をつげてくる。 

「一路」下は、吹雪の和田峠越え、御手馬白雪の死、和田宿眠り薬毒味、浅間山麓追分での加賀百万石の乙姫様の追い越し等、ハプニング満載。遂には、御殿様、松井田宿で急な発熱で容態は険悪に。一両日の到着遅れの届け状を老中に届ける事に。深谷の宿では、武門の面目がぶつかりあう本陣差し合いの危機。

道中の艱難辛苦をすべて乗り越え、到着予定一日を過ぐるも安着。将軍家茂より一万石に加増のうえ、大名に列すとの思し召しを過分と辞退。御殿様は、清らかな水のごとくに無私のお人柄。このお人柄があってこその安着。御殿様蒔坂左京大夫が主人公とも言える。
「月は東に」蕪村の夢 漱石の幻
森本哲郎
新潮社

2014.1.21
深遠なる蕪村、漱石論。侘び、寂びの芭蕉に対し、華やか、絢爛、艶の蕪村の句が丁寧な解説で紹介され、俳句の世界を全く知らない小生でも蕪村が堪らなくすきになる。。夢、現(うつつ)の境を逍遥する蕪村と云う意味での「蕪村の夢」、過去の幻に脅かされつづける不安(「心」の先生、「門」の宗助、「道草」の健三、「明暗」の津田他)と格闘する人間を描く漱石と云う意味での「漱石の幻」が副題。

好きになった句として、
 ・夏山や京尽くし飛ぶ鷺ひとつ (遥か上空からみた鳥瞰図の世界、いわば天眼の句と解説)
 ・島原の草履にちかき胡蝶(こてふ)かな (煌びやかな遊郭の世界と解説)
 ・花ふみし草履も見えて朝寝哉 (まさに詠みも詠んだりの感嘆の句と解説)
 ・御手討の夫婦なりしを衣更 (この本を読みたいと思わせた句。季語の深遠さを知る)

また、 俳諧の真髄は、解釈の自由を最大限に許すと云う事で、解釈に深読みと云う事はありえない。即ち俳諧の観賞は、同時に創造でもある。単一の解しか許さないような句は駄句でしかない。なぜなら、その句の暗示する世界の狭さを証しているからと知らされる。

漱石が夢見た美の世界、非人情の桃源郷が語られた「草枕」には、蕪村の俳境そのままの情景が、いたるところに散文で綴られている、草枕の筋立ては蕪村の句から構想されたと筆者は云う。蕪村、三十九歳の時、住み難い人の世に嫌気がさしたのか、母の故郷、丹後の与謝で洒脱な竹渓和尚との交友を愉しんだ事実があり、これがまさに草枕の設定。草枕の主人公の画家は蕪村であるとも言っている。

筆者は問いかける。豊かさとは何だろう。一言でいえば、美しい世界の事。美しさをひたすら求める心、美しさを味わう事の出来る感性、美しさを夢見る想像力、これこそが真の文化を創り出すと。真の文人の目指す先なのかもしれない。
「柳生武芸帳」
五味康祐
新潮社

2014.1.24
後水尾天皇 二人の皇子夭逝に柳生武芸帳なるものを結びつけ、柳生武芸帳の行方を追う柳生一族、柳生と対立していた陰流、山田浮月斎一派、そして竜造寺再興を目指す竜造寺家の血を継ぐ唯一人の女忍者夕姫達の争い。

格調高い歴史時代物の雄。関連史実の登場人物が多く、じっくり読まないと手に負えない。未完である事もあり、未読でとりあえず置いておこう。

執筆中断22年後に作者はなくなったのだが、何故中断のままだったのか。
「流れる星は生きている」
藤原てい
中央文庫

2014.1.28
昭和20年8月、日本の敗戦が決まってから、満州の新京から、母一人が、6歳、3歳の男の子、生後一か月の女の子の三人を連れて、逃げ遅れたら殺されると、朝鮮 38度線を越え、昭和21年9月20日博多港に逃げ帰る一年に及ぶ満州からの奇跡の逃避行の物語。引き揚げ後の病床で、三人の子供に遺書として書かれたもの。母の強さを示す感動巨編。

「僕の芋をお母さんに上げる。おっぱいが出ないでしょうと」と食料の芋をくれる長男、ジフテリアに罹病する次男、石鹸売り、人形作り、温飯屋の女中で生きつなぎ、右手に長男、左手に次男、背中には赤ちゃん、頸には食料を下げて、最後の時が来たら子供達を殺し自分も死のうと、二本の手と二本の足で四つん這いになって山を越え48度線を越す。泥臭い水を飲んで命をつなぐ。夫は平壌の収容所から北満の延長吉に送られ12月末に解放されたとの情報だけで生死は不明。

諏訪の実家に、背中には死んだような子を背負い、両脇には倒れそうな子供の手を引いて、幽霊そのままの姿で辿り着く。 もう死んでもいいんだと。思わず涙する。夫、新田次郎は、三か月遅れで引き揚げてくる。

子供達にこの不幸を背負わせた謝罪の意味で、自分の生きている事を忘れるほど、子供達に打ち込んで育てた(数学者、藤原正彦氏が次男)。しかし、「みんな巣立ち、ああみんな行ってしまた。これが人生と云うものだ」と、筆者は云う。 

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2014.1月