新富山にあるホテル屋上からの眺望

国内旅行

瑞巌寺

感仙殿。殉死した家臣12名および陪臣4名の宝篋印塔も写っている、二代藩主伊達忠宗公の霊屋。

1647年、瑞巌寺第100世洞水和尚により建立された伊達政宗の嫡孫光宗の霊廟「三慧殿」

松島、仙台(12.9.16−17)

平安時代始め開創の瑞巌寺参道。この立派な杉も津波の被害で多くは斬り倒されるとの事。(その後、9月24日のNHKニュースで、斬り倒しが始まったとの事。)

瑞鳳寺山門

第2日(2012.9.17)

八年前、松島を訪れた時、生憎雨で「ああ松島や」の感激がなく、今回再訪となった。溺れ谷に海水が入り込み山頂が島として残った多島海で、松島湾内外には、大小260余りの島がある。湾内の水深は10メートル以内と大変浅い。また、湾を島々が塞いでいるからなのだろうか、湾の海水は濁っており、松島島めぐりで遊覧しても「ああ松島や」にはならなかった。「松島四大観」と呼ばれる修景地点よりの遠景が良いのかもしれない。しかし、湾正面の新富山から見た眺望でも、ああ絶景かなにはならなかった。

るーぷる仙台の周遊バス。

中門

法身窟。この洞窟で、鎌倉時代中期、全国行脚中の執権北条時頼が、法身禅師と出会ったといわれている。

瑞巌寺入口。国宝の瑞巌寺本堂はH28迄修理期間中で非公開となっている。

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宿泊ホテルの露天風呂。あわび踊り焼き、たらば蟹コースと奮発するも最悪であった。

善応殿。三代藩主伊達綱宗公の霊屋。殉死禁止令により殉死者は居なかったが、替わって14名の家臣が剃髪して百日間の弔いを行い、うち1人が出家し、没後に遺骸が善応殿の南側に埋葬された。

瑞鳳殿参道。石造りの階段は、戦争による焼失を免れた藩政時代からのもので、左右にそびえる杉の並木は樹齢370年余。

瑞鳳寺本堂

瑞鳳寺鐘楼、伊達忠宗寄進の梵鐘

松島 島めぐり

未だ津波被害傷痕の残る東松島市役所野蒜出張所

円通院

瑞鳳殿入口

仙台市内のオススメスポットを巡廻する観光バス「るーぷる仙台」に乗車。仙台城址を始め15箇所を巡るのだが、時間が無く、仙台藩祖、伊達正宗公霊屋「瑞鳳殿」の一個所だけを散策。

昼食、寿し処まぐろ茶屋の
特上にぎり

1604年、伊達政宗が瑞巌寺の再興に先立って再建した五大堂。東北地方最古の桃山建築と言われている。

海猫

鐘島

福浦島

石庭。松島湾内にある七福神の島を表した天の庭と人生を表した地の庭の「雲外天地の庭」

庫裡。庫裡裏の大書院にて御本尊、藩祖政宗公、2代忠宗公の大位牌、三代開山木像が特別に公開されていた。

陽徳院御霊屋。1660年造営の伊達政宗公の正室田村愛姫の墓堂。
写真撮影禁止ゆえ、パンプレット写真で代用。

遠州の庭

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瑞鳳殿。政宗公の遺命により、1636年死去の翌年ここ経ケ峯に造営された霊屋(おたまや)。日光東照宮につぐ桃山様式の豪華絢爛たる廟。1945年戦災で焼失。1979に再建された。国宝。

樹齢数百年の青森檜葉の瑞鳳殿涅槃門。

仁王像が葉巻をくわえて座っているように見える仁王島。

寄棟造萱葺きの瀟洒な本堂大悲亭

杉、紅葉、山野草、苔の禅林瞑想の庭

季節の移ろいを感じさせる心字の池

700年前の洞窟群

野蒜海岸の余景(よげ)の松原の景勝地も惨めな姿に。

仙石線野蒜

仙台と石巻を結ぶ仙石線は、未だ東日本大震災の影響で一部不通で、松島海岸〜矢本駅間でバス代行輸送となっている。津波被害の甚大であった野蒜駅まで、松島海岸駅より代行バスでいってみた。
東京大空襲、神戸大震災から日本は立ち直ったと云うが、それは人々が其処に群がっていたからこそ出来た事。野蒜の周りには、人々は居ない。

野蒜駅の赤錆びたレールに砂が未だ覆っている

野蒜駅隣りのコンビニ

無残な野蒜駅

仙台

第一日(2012.9.16)

推定樹齢800年の瑞巌寺夫婦欅