「愛を乞うひと」
下田治美
角川文庫

2013.11.1
母は、男を作り、病中の父と私の二人を捨てで家を出た。父の病状が悪化し、あちこちたらいまわしの後、施設でやっと安定した生活をおくれるようになったら、またまた母の出現。そして母と同居。その後、八年、月に二、三回程の頻度で折檻されながら生きていく。そして、母は10年前と同じように、また新しい男を作って、今度は、新しくできた子と、私も連れて家を出た。 母の折檻から逃げて、始めて幸せをつかむ。亡くなった父のお骨を見つける為、父の祖国、台湾にお骨を捜しに行く。あの女が捨てたものを全部拾い集めると。   

巻末の解説の「度胆を抜く小説 ともかく一読をおすすめしたい」で、知らない作家であったが読んでみた。凄絶な虐待描写で気分が悪くなる。度胆を抜くとは、この事か。筋がある訳でなく、結末も「夢の中で、母の尻を叩きながら、人の愛し方を死ぬまでに覚えてよ」。くだらないなら、くだらないなりに結末を考えてほしい。最悪の本。よくこんな本を出版するものだ。   
「私とは何か」
平野啓一郎
講談社現代新書

2013.11.2

会社では、家族とは、高校時代の友人とは、それぞれ随分と違った自分を見せるのではないだろうか。人間には、色んな顔がある。果たして、どれが本当の自分なのか。対人関係毎に見せる複数の顔、すべて「本当の自分」である。それらは、私の中に常に複数同居している自分。相手次第で、自然と様々な自分になる。愛とは、人が好きとは、「その人といる時の自分が好き」という状態。個性とは、人とは、常に新しい環境、新しい対人関係の中で、変化していく。

平易な言葉で、なになにと思う事を綴ってくれる。曖昧にぼやっとしていた事を教えてくれる。何故、人を殺してはいけないのかも教えてくれる。98年芥川受賞作家、平野啓一郎の難解な本を理解するためにも、事前に読みたい教養本。 
「泥流地帯」
三浦綾子
新潮文庫

2013.11.4
四年前、父は、32歳で、冬山造材で木の下になり死んだ。その二年後、母は子を置いて髪結い技術を身につけるべく札幌に出る。13歳の兄、拓一、10歳の私、耕作、姉、妹の四人は、祖父母に育てられる。人に迷惑をかけない、叱られても、叱られても、やらなきゃあならんことはやるもんだ、真心こめて生きるべきと育てられる。博打の抵当(かた)に、親に叩き売った幼馴染を、買い戻し、嫁さんにするのだと貯金をする拓一、「私が好きなのは貴方なのよ あなた以外には、死んでも嫁に行かない」と打ち明けられる耕作の淡い初恋話もある。働いても働いても貧しい一家を、十勝岳大噴火による山津波の泥流が呑み込んでいく。

人生は所詮、試練、困難と対していくしかない。この小説は、高校生までの読者には感動ものだろう。古希を迎える爺さんには、どうも、青臭くてしっくりこない。矢張り小説は、立原正秋の言う「想像力だけが作家の生命。虚構の中に人間の美しさ、哀れさを描く」だ。
「夜の底は幻」上・下
恩田陸
文藝春秋

2013.11.8
2013年直木賞候補作品。読み始めると、闇月、在色者、聖地である途鎖、ヌキ、ソク、イロを使って敵を倒す等など、理解不能な言葉で戸惑うが、東京警視庁警部補の表向き潜入捜査が、「実は、かつて私の夫だった男を殺しに行くのよ」と面白そうな展開、加えて魅力的な設定、登場人物に魅かれ、一気に上巻を終えた。しかし、人々の禁忌の場所である山に巣くう在色者を一掃する山狩りの展開と云う下巻になって、冗漫な、まったく訳が分からない筋運びにうんざり。最後まで意味が分からず、結末も分からずに終わる。

この作者は、独りよがりの感が強く、半分で読み続ける忍耐が切れた「中庭の出来事」、至極退屈な展開だった「夜のピクニック」に続いて三作目であったが、この作品は、自己陶酔の世界で終わっていると言える。自己陶酔は女流作家に多いが。
「潮鳴り」
葉室麟
祥伝社

2013.11.10
豊後羽根藩勘定方をお役御免になり、家督を弟に譲った伊吹櫂蔵。武士としての矜持も失い、ただ地を這いずりまわって虫のように生き、酒に溺れ、賭場に出入りし無頼な暮らし、襤褸蔵(ぼろぞう)と蔑まれるまで堕ちる。仕掛けられた罠に落ち、無念の思いで切腹して果てた弟の恨みを晴らそうと、弟と同じ役職で藩の務めに戻る伊吹櫂蔵の闘いの物語。櫂蔵の新たな上司、勘定奉行に、その昔、弄ばれて男達に体を売るまで持ち崩した、飲み屋の女将、お芳に、「襤褸蔵と蔑まれるまで堕ちた男だ。落ちた花は二度と咲かぬという世の道理に抗ってやろう。わしの側にいて、この闘いの行く末を見届けてくれぬか」と懇願する。お芳は、女中として仕える櫂蔵の継母から「武門の覚悟も同じ、女子は昔など脱ぎ捨てて今を懸命に生きるのです。嘘をつかぬ己を偽らぬ生き方は良い」と励まされるまで信頼を得る様になっていく。櫂蔵も、命を捨てる覚悟でなく、行く抜く覚悟で、藩主及び重役を敵に回す荒事に立ち向かっていく。海鳴りは、いとおしい者の囁き、励ましと、おのれの思いにのみ生きるのでなく、弟、お芳の思いをも生きていく。

読み始めたら、一気に最後まで読み終わってしまう面白さ。何といっても心打たれる。お芳の己を偽らぬ生き方、美しい生き様、櫂蔵の継母、染子の筋を通した生き様、そして、己の思いにのみ生きるのでなく、人の思いをも生きると、自らの背を正す事となる。

ただ、筋運びが綺麗過ぎて、何か軽い感じがするのは、私だけなのだろうか。 
「決壊」上・下
平野啓一郎
新潮社

2013.11.16
平凡な家庭のサラリーマンが、京都でバラバラ遺体で発見される。事件当日大阪で、その本人と会っていた国会図書館勤務のエリートの兄が容疑者として浮かぶ。烈しい警察による事情聴取のなか、中学生による同級生殺人で事件は大きく展開。

「何かが起きてしまえば、たちまちすべてが決壊してしまう。そうした今の時代の危うさと、この時代を生きなければならない現代人の哀しみ、孤独をどこまでも追求していきたい」と云う筆者が、「なぜだろう?」と云う言葉で始まる、魂の叫びの物語。今の人々が抱えているだろう疑問、問題点、「自分とは何だろう」、「何故人は人を殺すのか」、「人を赦すというのはどういう事」、等などに対する作者の魂の叫びに揺さぶられる。

「神とは、人間の弱さの現れ」と小生は思うが、「神とは、人間の無力さの一表現」と筆者が言う通り、そんな人間に色々な疑問への回答がある筈がない。難解な問題提起ゆえ、再度時間を置いて、もう一度読みたい本。筆者の知的レベルには敬服。そのレベルに及びもつかない小生には、この筆者の作品は、手に負えないのかも。
「銀漢の賦」
葉室麟
文藝春秋

2013.11.18
2007年松本清張賞受賞作品。同じ剣道場に通う幼馴染の三人。一人は、両親の仇をとるために家老まで登り詰め藩政を正す将監、一人は、「人が生きると云う事は、何を得られるという程の事もない。ただ、虚しさと格闘するだけだ」と郡方にあまんじている源五、一人は、一揆の惣代となる百姓十蔵。お互い三人は友情を育みながらも、立場の違いで、藩の悪政に挑む十蔵、十蔵を召し捕る将監、将監の暗殺を命じられる源五とお互い辛い生き様を生き抜く物語。

将監の母の教え「花の美しさは形にありますが、人の美しさは覚悟と心映えではないでしょうか」を全うする生き様、そして熱い男の友情が紡がれるまさに心温まる物語。脱藩する将監が、「わしに二度も友を見捨てさせるな」と国境に戻り、源吾と共に闘う姿には泣けるね。 
「感染遊戯」 
誉田哲也
光文社

2013.11.22  
製薬会社の会社員が殺害された事件(感染遊戯)、二人の男女を襲った路上殺傷・殺害事件(連鎖誘導)、将棋の待ったが原因での老人同士の殴り合いの喧嘩(沈黙怨嗟)の、それぞれの異なる殺人が、推定有罪の編で結びつきあう話。製薬会社の非加熱製剤の投与原因でのウィルス感染が原因で殺人が起きたように、インターネット闇サイトで、ウィルスのように殺意を蔓延させ、恨みを抱く者に殺人を実行させ、間接殺人、感染殺人が起きる。着想は凄い。しかし展開が最後の編にならないと分からず緩慢。
「いのちなりけり」
葉室麟
文藝春秋

2013.11.24
雨宮蔵人が少年の時、桜の下で会い、桜の化身、桜の精と見染めた咲弥の入り婿になったのちに歩む波乱万丈の物語。蔵人は、主命により、咲弥の父を殺したことで脱藩。咲弥は、蔵人の兄弟同然の右京と仇討の旅に出て、父殺害の驚きの真相を知ると同時に、蔵人が自分に寄せる愛情の深さを知る事となる。

咲弥の凛とした気性、蔵人の咲弥への想い、裏表のない生き様がグットくる。ただ、後半の、綱吉と光圀の相克 朝廷と幕府との暗闘で焦点がボケて残念。タイトルの「いのちなりけり」は、蔵人が咲弥のために探し続けた一首、「春ごとに花のさかりはありなめどあひ見むことはいのちなりけり」の短歌から。
 
「刀伊入寇」藤原隆家の闘い
葉室麟
実業之日本社

2013.11.28
一条天皇の摂政関白を務めた藤原道隆が亡くなって(995年)からの20年以上に亘る朝廷を巻き込んでの藤原伊周(これちか)、隆家の闘い、及び高麗の北に住む女真族の一派とみられる海賊による壱岐、対馬への襲来、刀伊入寇(といにゅうこう)を撃退した藤原隆家の物語。

奔放な花山(かざん)天皇。隆家が契りを結んだ刀伊の女、瑠璃。瑠璃が産んだ烏雅(うや)。刀伊の長となった烏雅と闘う隆家、等々「隆家が守ろうとしたものは、雅やかなこの国の美しさ」の絢爛たる歴史ファンタジー。登場人物がとてつもなく多く、どうも熱中できなかった。
「抱影」
北方謙三
講談社

2013.11.30
硲(はざま)冬樹は、横浜で四軒の酒場を経営し、毎日自転車で巡回している国内外で名を知られた抽象画家。二十歳代の時、医学部一年生の響子に会った時から、響子以外の人は見えなくなったほど魅かれる。二十数年たった今、人妻となった響子が、血液性の癌で余命、半年と知り、響子の体をキャンバスとして、響子にだけ分かる絵を、響子に対する思いを、のみで彫りつける事となる。

響子の体に刻まれた刺青は、二十数年間で少しずつ育ち、そして生まれ出てきたもの。「人の心を動かす絵は、画家が必ず自分自身を描いている」と画家は云うが、これは北方謙三作品の事であろう。

ヤクザの食い物となっている外国人娼婦を助ける、冬樹を親父(おやじ)と呼ぶ信治が殺され、その仇をうつ最後のくだりは圧巻だが、それは読者へのサービズのおまけ話。また、響子に刺青された場所が、響子の望む場所でないと愚痴らせる箇所は、正にこれが女性だと思わせる。 

この抱影は、物語のある小説と云うより、北方謙三の制作姿勢の話ではないだろうか。 

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(本タイトルのフォント青色の書籍が、私の好きな「100冊の本」候補)

2013.11月