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照射による倦怠感はどうしようもなく食欲もなし。6月29日の血液検査では、31項目の内、何と11項目が異常値。今迄の健康診断での血液検査では、血中脂質を除いて全て正常範囲であったのがとんでもない事に。抗癌剤と放射線で体への負担が如何に大きいかを思い知らされる。歩くに勝る薬なしだから、どんどん歩いて健康体に戻さなくては。
一週間後の7月6日の検査でも異常値は8項目。

照射後、7月5日の4週間目から食道炎が始まり、食べ物飲み物を飲み込む際かなりの痛みを感じ始める。7月6日から嚥下障害の為の食道粘膜保護用飲み薬と鎮痛剤を食前に飲む事となった。若干であるが食べ易くなった。しかし、飲み下すのが怖くて少しずつしか食べられない。

最終の治療、抗癌剤放射線併用治療となる四回目の入院は7月12日と決まった。

照射は、右写真の上半身にマジックで描かれた食道全体に四方向から浴びせられる。二人の放射線技師により体の位置決めが済むと、始めますの合図でその二人は部屋から駆け足で逃げていく。20cmの鉛の扉が不気味なギギギッと音を立て閉められ、背中左斜め下から5秒強、背中真下から10秒強、腹右斜め上から5秒強、腹真上から10秒強の四方向全部で30秒強浴びせられる。背中側は左斜めから、腹側は右斜めからは、心臓への照射を避けようとするものなのか。手術に匹敵する成績が期待できるこの治療(FP-rad療法)も、晩期(後から経っての)副作用として、肺臓炎、心嚢炎と云う恐ろしい副作用の恐れがあると云う。

6月22日から、週末を除いて、次回入院まで放射線治療のため毎日、通院するのが私の当面の仕事となった。一日30秒の治療費が、¥5,910。自分の体を照射で痛めるのに、今日からこれだけの高額治療費が毎日4週間続くのは、情けない。あのバカでかい機器が恨めしい。

7.その後の通院

21日無事退院。ただ、前回手術の時は歩いて帰宅したが、今回は歩く元気なく初めてタクシー帰宅。やはり放射線、抗癌剤の方が体への負担大である事実感。ダルさ、倦怠感は拭えず。

5)退院(6月21日)

ところが、16日、昼前より突如、シャックリに襲われる。シャックリ止めの薬を飲むも、排尿の後には再度シャックリに襲われる。シャックリと排尿に関係ある事分かり、それ以降は、排尿の時、腹筋を使わないようにする事でシャックリは解決。これだけ頻尿であると腹筋を使いすぎて横隔膜痙攣のシャックリに繋がるのであろう。

抗癌剤副作用、食欲不振、吐き気対策でカロリーメイト、飲むプロテイン他色々持ち込んだが、シャックリ以外特に困らず、持ち込み全て無駄であったほど副作用なし。

体の中にぶち込まれた抗癌剤は、肝臓で解毒されると同時に、尿とともに排泄される必要があり、一日4リットルの排尿が目処とされる。

15日から四日間の排尿は、一日平均14回で量は3.782ccと合格。

4)放射線、抗癌剤併用治療 2-4日(6月16-18日)

高エネルギー放射線装置

4日間連続点滴の抗癌剤5FUと、初日2時間のみ点滴の抗癌剤シスプラチン点滴開始。輸液ポンプで正確な量が正確なテンポで4日間体の中に送り込まれる。

予想される副作用対策として、同時に吐き気止め、利尿剤他、一日当たり補液2リットル(ソルデム3Aとラクテック)を点滴。

同時に、食道全体への4方向からの高エネルギー放射線治療の開始。X線を浴びている時間は数秒で痛くも痒くもなし。でも、痛みが伴わないのは、何が起きているのか分からず一番怖い。胸部には照射する食道の位置が油性マジックで描かれている。

3)放射線、抗癌剤併用治療 初日(6月15日)

6月14日朝10時半、17A病棟(17A7室)に入院。入院手続きには大変な混みようで待っている間、座る場所もなし。

治療前検査で、血液検査と胸部レントゲン検査。

部屋からの東京スカイツリーは、先月と大差のない姿を見せている。

2)入院日(6月14日)

6月8日、放射線治療部外来(伊藤芳紀先生)にて頸胸部 CT撮影し放射線治療計画を作成。放射線治療は一生涯、一回の勝負ですから頑張って下さいとの説明。放射線は一定量を超えて浴びる事は出来ない。会社の先輩で食道癌再発を放射線治療で治癒された方がいるが、私の場合、再発しても放射線の選択はもう出来ない。

1)4月22日の今後の治療方針で決まった「放射線、抗癌剤併用治療」

食道癌の追加治療としての放射線治療は、週5日の頻度で5週間。合計23回の照射で放射線量は41.4Gy.(グレイ)。抗癌剤治療は、シスプラチン:2時間 5FU:96時間(4日間)継続の点滴を2回。放射線治療の5週間のうち、1週間目と5週間目を抗癌剤併用の入院治療。その間の3週間は、放射線通院治療。

6.三回目入院(食道癌追加治療)

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