「池上彰の宗教がわかれば世界が見える」
池上彰
文藝春秋

2012.12.2
読んでも、世界は見えてはきません。生、老、病、死の苦から救う事が、仏教の原点。宗教を信じる事が出来れば、心の安寧も生まれ、死も潔く迎える事も出来るのであろうが、南無阿弥陀仏と、阿弥陀様に全てお任せできれば、苦労はない。死は究極の不条理、その受け入れ方を担ってきたのが宗教とあるが、欺瞞としか思えない。養老孟司氏の云う「これほどの医療費をかけるのも死んだらおしめえよと皆が分かっているから」は一面の真理をついている。
「二流小説家」
ディヴィッド・ゴードン
早川書房

2012.12.3
アメリカ探偵作家クラブ賞最優秀新人賞候補作。50ページ読んだが、読み続ける事ができない。こう云う本を読める人を尊敬する。言葉が体の中に入ってこない。
「国盗り物語」
司馬遼太郎
新潮文庫

斎藤道三、織田信長、明智光秀、この三傑の生涯を軸として、戦国百年の人と時代を描破した国盗物語。伊東光晴らによる「近代日本の百冊」(講談社)の中の一冊に選ばれている。

2012.12.5
「国盗物語(一)」斎藤道三前編
氏もなき京の西郊、山城西ノ岡の庶女を母に持つ、松波庄九郎は、学問僧から還俗し、権謀術数で京の油屋の吉祥天女のように美しい後家の御料人を陥落し、莫大な身代を乗っ取る。国主になりたいとの野望から、美濃の国に狙いを定め、美濃国主土岐政頼を追っ払い、弟頼芸をその後釜に据え、頼芸の愛妾をも奪う。国主の執事となり、権勢ならぶ者はない存在になっていく、美濃の蝮、斎藤道三の若き日の策謀と活躍の物語。

「目的があってこその人生。生きる意味とは、その目的に向かって進む事。唯一頼るのものは、自分自身が編み出す工夫以外にない」と、謀反の連続、良く言えば、創意工夫のあけくれで、のし上がっていく姿に魅了される。

2012.12.16
「国盗物語(二)」斎藤道三後篇
内紛と侵略に明け暮れる美濃の国を、自らの智恵、才覚で、国盗りを完成させ、遂に美濃の太守となった斎藤道三の生涯。中世の神聖権威に挑み、それを破壊、古くからの商業機構の座をぶちこわし、天下第一等の悪人とも、美濃の救い神ともいわれた道三が見事に描かれる。。
         
「秩序が古び、ほころびて支配組織が担当能力を失った時、歴史が、英傑を要求する時がある」の通り、斎藤道三が現れたのだろう。 

2012.12.27
「国盗り物語(三)」織田信長前編
道三は、天下統一の夢を娘婿の信長に託して、義理の子、義竜の叛乱に散っていく。信長は、手こずっていた美濃攻略であったが、木下藤吉郎、竹中半兵衛の智略を得て遂に道三が築いた稲葉山城を陥とし義父の仇を討つ。一方、道三の愛弟子の光秀は、道三の死後、浪人となり、足利幕府を再興したい一念で諸国を歩き、風に梳(くしけず)り雨に浴(ゆあみ)し、遂には、後の十五代将軍足利義昭を奈良一乗院から脱走せしめる機会を得る。

織田信長編と云うより、第四巻の伏線なのか、明智十兵衛光秀に割かれているページの方が多い。二人の水と油の性格が見事に描かれ「本能寺の変」も已んぬる哉の感じ。

2012.12.31
「国盗り物語(四)」織田信長後篇
三河の家康以外、天下に友軍とする大名は一人もいない信長は、単なる権力慾や領土慾ではなく、中世的な混沌を打通してあたらしい統一国家を作ろうとする革命的な欲望を力に上洛する。敵将の骸骨を箔濃(はくだみ)にして酒を飲むと云う酷薄さをもつ信長の苛烈な生き方が如実に語られる。一方、光秀は、「十兵衛、血迷うたか。汝(うぬ)がことごとに好みたがる古きばけものどもを叩き壊し摺り潰して新しい世を招きよせることこそ、この信長の大仕事である。そのためには仏も死ぬ」と信長に金柑頭を掴まれ、ころがされたりもした。主殺しは八虐の大罪悪にもかかわらず、謹直で思慮深い光秀が何故に本能寺の変を起こしたのかは、政権を奪うと云うよりは、信長に怨みをむくい、永年の鬱積を散じる為だったとも語られる。道三の相弟子同士ともいえる二人が本能寺で見(まみ)えた事は、宿命と云うほかなし。 
 
「人間としての値うちは、志を持っているかいないか」この点で自らを大きく評価していた光秀像が信長との対比で際立って語られ光秀物語とも云える。
「若者たちよ!」君たちに伝え残したいことがある。
渡辺洋一
K&Kプレス社

2012.12.11
副題は「近代史の真実と日本の危機」。15世紀末、ポルトガル人によるアジア、ブラジルでの一大植民地を獲得に始まる、西洋列強の白人による有色人種の対する残虐、非道の歴史、及び、中国のチベットへの略奪殺戮の限りを尽くした侵略行為、中国の海洋制覇戦略等などが語られる一方、国家観、国防意識をなくした日本の現状に警鐘が鳴らされる。著者(元の会社上司)は、今の日本国は、今を歴史の転換点として戦後レジームから脱却し国家の基本問題、国防・外交・憲法・教育問題の解決が最重要と強調する。

学校の先生に諭されるような平易な言葉で、日本が置かれている危機的な状況が語られるのだが、今の若者に、この声が届くのであろうか。自分の家庭の幸せを考えるのに精いっぱいで、国を会社を強くしたいと思うだけの余裕を持てない今の若者に届くよう願いたい。

「共喰い」
田中慎弥
集英社

2012.12.13
2011年下期芥川賞受賞作。五度目の正直での受賞作。父とその愛人の三人で暮らしている17歳の少年の性と暴力の話。時として理解不能な綴りで何度読んでも分からない綴りもあるのだが、乾いた綴り、方言の会話の巧みさで、引きずり込まれてしまう。好きにはなれないが、迫力、重量感ある作品。難産の作品だったに違いない。
「第三紀層の魚」
2011年上期芥川賞候補作。近くに住む、寝たきりの96歳になる曾祖父のめんどうをみている祖母、そして父を失い、母と二人で暮らす何気ない生活を小学四年生の眼でみた物語。魚釣り、国旗日の丸、曾祖父のオムツ替え、勲章、母が東京で働き旧姓に戻る等などの何気ない話の連続なのだが、何故かシットリとくる。筆力なのか。秀逸な作品。 
「半七捕物帳」年代版一
岡本綺堂
まどか出版

時は天保から幕末に至る江戸激変の時代を舞台にした捕物小説の嚆矢と云われる時代小説。若き頃の岡本綺堂が文政生まれの老人から聞いた話から生まれた69編からなる捕物帳全八巻の第一巻。古き江戸の世の情緒に浸る事が出来る。この出版は、全69話が、第一作を除き事件発生の年代順に編集されている。伊東光晴らによる「近代日本の百冊」(講談社)の中の一冊。

2012.12.14
「お文の魂」(元冶元年(1864)3月)
年代順では、もっと後の作品だが、半七捕物帳の第一作との事で冒頭に。四年前に小石川西江戸川端の旗本に嫁ぎ三つの娘までもうけた女が、兄の処に、旗本の家では、夢に幽霊が出るので暇を取って欲しいと依頼に来る怪談物。なお、本篇で半七老人の紹介、及びこの捕物帳は、半七老人の昔語りから拾い出した物と紹介されている。
(元冶元年出来事。3月、水戸天狗党挙兵。6月、池田屋事件。7月、禁門の変。)
「大阪屋花鳥」(天保12年(1841)7月)
日本橋北新堀の鍋久と云う鍋釜類を扱う鉄物(かなもの)屋に来た美しい嫁が、剃刀で亭主を殺し身投げをし行方不明になる話。
(天保12年出来事。1月、第十一代将軍家斉死去。7月、風紀粛清で、不忍池茶屋撤去。)
2012.12.21
「石燈籠」(天保12年12月)
日本橋の古い小間物屋の失踪していた一人娘がふらっと帰ったが、今度は母親を殺し、また失踪。石燈籠の苔についた小さな足跡から事件解決をする半七が十九歳の時の初手柄の話。
「熊の死骸」(弘化2年(1845)1月)
弘化2年正月の24日、青山権太原の武家屋敷から始まった青山火事の火事場に現れた熊が発端となった殺人事件。
(弘化2年出来事。12月、吉原遊郭全焼)
「冬の金魚」(弘化3年(1846)12月)
お玉ヶ池に住む俳諧の宗匠が何者かに斬り殺され、その宗匠の家の十七八の小奇麗な女中も庭の池に死体となって沈んでいた事件。
(弘化3年出来事。2月、孝明天皇践祚。3月、小鳥の高値売買の禁止。)
「津の国屋」(弘化4年(1847)6月)
赤坂裏伝馬町の酒屋、津の国屋夫婦は、子ができぬとの事で貰い子として娘を迎えるのだが、その後、二人の娘が生まれてしまう。邪魔になった貰い娘は、津の国屋から追い出され、その後、津の国屋を恨んで死んでしまう。津の国屋に、その娘の死霊が祟ると云う、ゾク、ゾクッと鳥肌がたつ怪談物。60ページ弱の短編なのに、何と10人強の登場人物を事件に巧みに絡ませ、それぞれの登場人物に、ものの見事に、なる程と云う役割が与えられている。捕り物ミステリーのお手本と言えるのでは。
(弘化4年出来事。3月、死者八千人以上の出た善光寺地震が起こる)
「二人女房」(寛永2年(1849)5月)
四谷坂町の酒屋の伊豆屋女房が、府中の六所明神の御祭礼の闇祭りの日、府中の宿屋で姿をけす。その同じ節句の晩、呉服屋の和泉屋女房も時を同じくして失踪する事件。
(寛永2年出来事。山本徳次郎、日本橋室町で、のちの山本海苔店となる海苔専門店創業。4月、葛飾北斎死去。)
「狐と僧」(寛永2年秋) 
谷中の時光寺の住職が失踪し、住職の袈裟をつけた狐が溝に嵌り込んで死んでいるのが見つかった事件。

各作品が、平均して30ページ強の短編ゆえ、事件が起こる必然性も充分には描かれる訳でもなし、事件の解決も伏線もなく突然になされ、納得ずくで物語が進む訳でない。それにもかかわらず楽しく読める。半七のべらんめえの江戸言葉、筋立ての巧さ、江戸の世の有様が迫ってくるからなのだろうか。胸躍る面白さはないが、ともかく読ませる作品。本第一巻では、「津の国屋」がお薦め。
「船を編む」
三浦しおん
光文社

2012.12.23
2012年本屋大賞受賞作。ある出版社の営業部で変人として持て余されていた馬締(まじめ)と云う名の男が、辞書編集部に移籍となり新しい辞書編纂に取り組む事となる。その男と、その男を取り巻く人々の日常、そして日々移ろっていく言葉の海を渡る船である辞書の編纂迄が描かれた作品。

辞書編纂と云う特異なテーマには感心するのだが、紡がれる言葉が、タイトルの舟を編む、主人公の馬締の名前でも分かる様に大変呻吟しているのであろうが、玩ばれてる感じが否めない。何か知性を感じられないと云うか、ドンと響く物がない。2011年受賞作のの東川篤哉「謎解きはディナーの後で」もそうであったが、この賞のいい加減さにはうんざり。本屋の皆さん、活字離れは致し方無しといわれるよ。
「痴人の愛」
谷崎潤一郎
新潮文庫

2012.12.25
伊東光晴らによる「近代日本の百冊」(講談社)の中の一冊。町のカフェで見染めた美少女を自分の好むタイプの女性に教育し育て上げ妻にする。その妻が、猛々しいまでの淫婦に成長し、その肉体の魅力に、主人公が屈服し身を滅ぼしていく話。

著者の最後の言葉「これを読んで、馬鹿々々しいと思う人は笑って下さい。教訓になると思う人は、いい見せしめにして下さい」は、性の葛藤から生涯、逃れられない読者同朋への皮肉なウィンクと、解説者は言う。私自身は、作者がほくそ笑んでいるマゾヒズムに翻弄され続け、楽しく読める本ではなかった。永井荷風調の名文であったなぁと思い思い読み続けた。
 

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2012.12月

(本タイトルのフォント青色の書籍が、私の好きな「100冊の本」候補)